今回は、先日所属サークルの方で読書会を行った、河野裕さんの「昨日星を探した言い訳」について扱いたいと思います。この作品を扱うのは2度目ですね。
今回の読書会のテーマは「差別をなくすためにはどうすればいいのか」「また、差別はなくさなければいけないのか」でした。
まず、差別の必要性とは?という点に関して、生物学的な視点から考えました。優秀な遺伝子を残し、劣等遺伝子を残さないために差別が必要であるという観点でした。人間の倫理的にではなく、動物的に見れば納得できますよね。
また、差別の発端は何なのか、差別と区別とは?についても議論されました。人間同士の差別と人間による動物からの搾取、虐待、環境破壊の違いとは何かについても考えました。
人間を自然から切り離して、人間の権利、人権を確約したのは人権宣言以降ではないかと話されました。それまでは差別的な状況があってもそれが自然な状態だったのに対し、人権宣言で弱い立場の人にも権利が与えられます。その辺りの時代が「差別」という考え方の発端ではないのかと考えています。
さて、ここまでは差別を肯定するような話をしてきましたが、決して差別を認めたいわけではありません。どちらかというとどうすれば差別をなくせるのかを考えるために差別がある世界について考えたのです。
私は差別の対極に「多様性」があると思っています。差別とされるようなマイノリティー的特徴を認めることが必要あるのではないかと考えています。「理解する」ことは難しくても、いや、完全に他者であるのだから不可能であっても、認めることはできると思っています。認めて相手に合わせる作業こそが仲良くなることであり、差別をなくすことにつながるのではないでしょうか。